今週の全員営業(R)のポイント 番外編①: 経営者は、織田信長でなく、徳川家康を目指せ!
日本史がもっとも劇的であった2つの時代があります。
一つは、幕末。そしてもう一つは、戦国時代です。
実際に、その時代にうまれなかった幸運をかみしめながらも
・・・実際この時代なら生きるだけで大変です・・・
惹きこまれる魅力がある人物や出来事が目白押しです。
応仁の乱以降、数十年の戦乱が続いた後、天下人と称される
3人がいます。日本史が苦手な人(笑)でさえ知っている
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の3人です。
経営者として、一番能力が高かったのは、間違いなく
織田信長でしょう。
戦略としては、兵農分離による職業兵士制、多方面作戦を
同時並行で行える5大方面軍、圧倒的な物量作戦。
戦術では、鉄砲による集団戦術や鉄工船による大砲海戦、
果ては、土地や米ではなく茶器や茶会による報酬形態など。
当時、国内はおろか、世界を見渡しても誰も考えつかなった
100年進んだ先進的な経営と組織運営を行っています。
また、軍師とよぶべき人材がいないのも、信長の特徴です。
おそらく、相談相手すら必要なかったのでしょう。
なにしろ、信長以後に、天下を取った3人・・・豊臣秀吉と
明智光秀はもちろんのこと、同盟者の徳川家康にいたるまで
実質的には織田信長の配下といえます。
まさに天分の才としかいいようがありません。
こんなとんでもない天才を目指すのは、気概としては素晴らしい
ですが、現実的には、ほぼ不可能といわざるをえません。
では、草履取りから天下人となった豊臣秀吉を目指すのは
どうでしょう。
個人のキャラクターや、サクセス・ストーリーで比肩する人は、
日本史では唯一無二といっていいくらい桁外れです。
また、下克上の時代でありながら、この人の存命中には、
いったん味方になると敵に寝返る例はなかったとさえ言われる
くらい人心掌握術にも長けています。
ただし、秀吉はいわば、漫画ワンピースのルフィーみたいなもの
です。能力は高い!、人柄もいい!、でも何より運がいい(笑)
運が良いなんて再現性がないので、マネしようがありません。
一代で成り上がったため、組織と人材の脆弱さがありました。
それに追い討ちをかけるように、組織のナンバー2で、周りから
一目おかれる実績と人柄と能力があった弟の豊臣秀長が、彼より
早く世を去ったのは、事業承継上では一番のマイナス要因でした。
そして、経営ビジョンもありませんでした。織田信長は、天下布武
(天下を武力で統一)というビジョンを自ら考えだすほどですから、
天下統一後は、状況にあわせて別のビジョンを示したはずです。
しかし、豊臣秀吉は、本能寺の変が起こるまでは、信長に使え、
評価され続けることが人生と仕事の目的でした。組織人としては
最高の人材ですが、トップとして見ると、能力の高さはともかく
発揮する方向性に疑問が残ります。
諸々の理由から、生業として、家族と社員の生活に責任がある
中小企業の経営者には、華々しい反面、一代限りで終焉を迎えた
豊臣秀吉は、見本としてお勧めしづらいものがあります。
では、徳川家康はどうでしょうか?。
最終的には、天才(信長)でなく、強運者(秀吉)でなく、両者が
自分の傍にいることで、運命を翻弄されながらも、流されず、
あきらめず、長生きした大いなる常識人(家康)が天下を取りました。
普段は、律義者(誠実)という評判がでるような出処進退を行い。
懐紙一枚が風で飛んでも庭先まで追いかける態度から、信長の娘婿
に見込まれた逸材の蒲生氏郷に「あのケチさでは天下はとれない」
といわれるほど質素倹約を心がける生活を送りました。
自分では勝てそうにない強者である「武田信玄、織田信長、豊臣秀吉」
が去るまで、辛抱強く地力を蓄えながら、何年にも渡り、競争相手の
良いところと悪いところを常に学び続けます。
そして、いざ勝負の時期が来たと見るや、今まで蓄えた、すべての
経営資源を惜しげもなく使って勝負に(関が原、大阪の陣)に出ます。
その後は、敵や民衆も味方につけるよう「元和えん武」の元号により
天下泰平のビジョンを掲げ、先人の轍を踏まないため鎌倉時代の源氏
の研究を行って、自分のいなくなった後のことまで考えます。
その結果、規則(武家緒法度、禁中公家諸法度)と仕組み(幕藩体制、
参勤交代)を編み出し、自分の家族・親戚はもとより、部下とその家族
まで長く面倒を見る体制を整え、3代目まで目処をつけてから去ります。
商品(武力、財力)に圧倒的な強さがなく、地域(近隣の競合が強い)に
ハンデがあり、営業や組織(規模、人材、資金)などで大手競合より
条件が厳しい中小企業の経営者にとって、徳川家康の考え方と
戦略は、業績向上と長儲け(R)につながる格好の見本と考えています。